| ニックネーム | だいちゃん | ![]() |
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| 生年月日 | 昭和52年12月7日 | |
| 学歴 | 東京理科大学理学部卒 カイロプラクティック専門学校卒 | |
| 出身地 | 五反田(高3まで千葉県に住んでいたが、その後馬込に引っ越してきました) | |
| 趣味 | 登山: マラソン: 舞台鑑賞: | |
| 特技 | 駄洒落を言うこと。モノマネ(アントニオ猪木、ラッシャー木村、目玉おやじ、ぐるぐるどかーん、お笑いマンガ道場の富永一郎など) | |
| 好きな言葉 | 「卓越さは千の細部から成る」「継続は力なり」 | |
| 好きな場所 | 上高地(長野県)年2回は必ず行きます。 | |
| 好きなTV | 救命病棟24時・特命係長只野仁 | |
| 好きな音楽 | LUNA SEA・ZARD・シンスンフン・ケルティックウーマン・リベラ | |
| 好きなスポーツ | マラソン・ラグビー・極真空手・フィギュアスケート | |
| 年齢 | 主な出来事 |
|---|---|
| 0才 | 生まれた時にかなり大きかったので「大輔」という超単純な理由で名前をつけられる |
| 6才 | 南馬込の東急ストアにてアイスを万引きして警察に補導される |
| 7才 | JR津田沼駅近くの線路に石を置いて総武線を止め警察に補導される |
| 8才 | 前年のリベンジで!?JR津田沼駅近くの線路に列車をスリップさせる為に線路にバナナの皮を敷いていたところ、駅員にばれ警察に補導される |
| 9才 | 外で友達とマッチで火遊びをしていたところ、空き地と空家に燃え広がって全焼させ、警察に補導される |
| 10才 | 千葉そごうの屋上からデッカイ雪の固まりを下の通行人めがけて投げて遊んでいたところ、警察にばれて補導される |
| 11才 | ジャッキーチェンの映画の影響で、カンフーの真似をして友達に飛び蹴りしたところ、 直前でかわされて学校のガラス窓を粉砕し担任から散々叱られる |
| 15才 | 多摩川の土手で巨人の長嶋茂雄監督(当時)に出会い握手してもらって感激するも、 その30分後に事故に遭い手首を骨折する |
| 16才 | 当時好きだった女の子にラブレターを書いて告白しようと試みるが、手違いでレポート用紙に書いた誤字脱字だらけの下書きを封筒に入れて送付してしまい、こっぴどくフラれる |
| 17才 | 少しずつグレ始めて学校から足が遠のき、不登校気味になる。この時友達から付けられたあだ名は「ハレー彗星」 |
| 18才 | 高校を卒業。卒業時の成績は253人中253位。大学を受験したいと担任に話したところ「寝言は寝てから言え」と一喝される。当然受験は全戦全敗。 |
| 19才 | 偏差値1桁台、九九やアルファベットもまともに言えないような学力から1日12時間の猛勉強の末、東京理科大理学部に合格する |
| 20才 | バイトしていたステーキレストラン「ハングリータイガー」で「八百屋でレタスを10個買って来い」と言われたのに間違えてキャベツを10個買ってしまい、大目玉を食らう(キャベツを使ったメニューは当然ながら全く無い) |
| 21才 | 通っていた極真空手の道場で白帯のころ黒帯の先輩に組手でボコボコにされ、肋骨骨折と顔面を思い切り蹴られて口の中が血まみれになる |
| 23才 | 度々留年する危機に立たされるが、何とか4年で大学を卒業する ちなみに理科大は4人に1人が留年するほど進級に厳しい |
| 24才 | 大学在学中から通っていたECC外語学院の特別コースに1年間通う。 この時のTOEICのベストスコアは885点 |
| 25才 | カイロプラクティックの専門学校に入学する。 「カイロを勉強する」と友達に話したところ、エジプトに留学するものだと勘違いされることが多々あった |
| 27才 | 三和整骨院に就職。 患者さんがとても多い治療院で激務で血尿が出て倒れそうになる日々を過ごす。 治療のし過ぎで腱鞘炎になり、箸やボールペンも持てなかった |
| 28才 | 初登山で高尾山に行くような軽いノリと装備で八ヶ岳最高峰(標高2899m)に登るが雪山で低体温症と凍傷にかかり絶体絶命の危機にさらされるも山小屋に避難し九死に一生を得る |
| 30才 | 新横浜のアイススケートリンクでフィギュアスケートの荒川静香選手に握手をしてもらったところ、悩まされていた手首の腱鞘炎が嘘のように治る |
| 32才 | 三和整骨院を卒業してライフエイドカイロプラクティックを開業する。 しかし開院当時は全くの鳴かず飛ばずで閉院の危機に立たされる |
| 33才 | 美人で優秀な女性スタッフからなるグッドネスカンパニー様にこのホームページを作成して頂き、このHPを見た多くの方が来院される |
| 現在 | お陰様で多くの患者さんやマスコミの取材のオファーが殺到し、 山本リンダの「もう、どうにも止まらない〜♪」状態になるのでありました。 |
まず私を健康な体で生んでくれた母に感謝します。
それから私をいつも支えてくれる家族、親戚、友人に感謝します。
この業界に入るきっかけは、まず大学4年生の最後の講義で担当教授が言った言葉がとても影響しています。
その言葉とは
「豊かで幸せな人生を送るにはどうしたらよいか?
それには生涯で1000人の人と出逢いなさい。
そしてその一人一人と10分以上楽しく会話をしなさい。
そうすれば君達の人生はきっと素晴らしいものになる!
本当の豊かさや幸せはお金で買うことは出来ない」
という言葉がずっと脳裏に焼きついて忘れられなかったのです。
それと学生時代にラグビーや空手、マラソンなど様々なスポーツに取り組んでいてケガが絶えなかったので、そのケアの仕方をしっかりと学びたかったことと、人間が健康で長く生きるためにはどうしたらよいかということを常に考えていたことからでした。
この二つの条件を満たす仕事で、薬でなく人の手で体を治すことによって健康を促進するという考えに心魅かれた私は、手技療法カイロプラクティックの学校に入学して「目の前の人を痛みから解放して笑顔を取り戻す」という目標に向けて歩み始めました。
10〜50代の元自衛隊員、銀行員、プロサーファー、陸上実業団選手、看護士、薬剤師、キャバクラ嬢など幅広い経歴を持った友人に交じっての勉強の日々・・・ とても刺激的でした。
それから関東で実績No.1の川崎市の整骨院に就職が決まり、多くの患者さんと向き合う日々が始まりました。
駆け出しの頃は治療のしすぎで腱鞘炎になり、箸が持てなくなりご飯を食べられなくなったことや、深夜までの講義に練習会、祝祭日はセミナーや学会出張など体力的にきつく血尿が出て倒れそうな日々でしたが、厳しくも充実した毎日でした。
そんな毎日の中で徐々に人間関係も生まれ、共に頑張ろうと誓い合うスタッフ、研修会で知り合った同業の仲間達が多数できました。
今の私にとって大きな財産です。
神奈川県で一番の来院数を誇る川崎市中原区の三和整骨院にて厳しく指導していただき今に至ります。その頃縁を得た患者さん達に今でも支えられ、育ててもらっています。
ライフエイドの名前の由来はLife(生命)+Aid(助け、促進)で患者さんの生命力や自然治癒力を最大限に高めるというのと、あとLifeには(人生)という意味もあるので、治療をすることによって患者さんが今まで出来なかったことが出来るようになってほしいと、患者さんの人生を応援するという意味を込めて命名しました。
ライフエイドカイロプラクティックは地域ナンバー1の治療院を目指しております。
皆さんのきっとお役に立つ地域密着型の治療院として発展、質の向上を目指し日々精進していきます。
どうぞ末永くご愛顧のほどよろしくお願いいたします。
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